桃李不言,下自成蹊(táo lǐ bù yán,xià zì chéng xī)
意味:人徳者のもとには自然と人が集まってくる
司馬遷の『史記』(李将軍列伝)からの引用。四字熟語で表すと「桃李成蹊」。成蹊学園の「成蹊」は「桃李(とうり)ものいはざれども、下おのづから蹊(こみち)を成す」に由来している。西漢王朝の時代に、中国の西北国境で匈奴(モンゴル高原で強力となった騎馬遊牧民)を相手に生涯で50年近く70回以上闘った李広という勇敢な将軍がいた。彼は数千の軍隊を指揮し、匈奴からも「漢の飛将軍」と恐れられる英雄だった。部下に優しく接し、喜怒哀楽を分かち合い、兵士たちを第一に考える将軍で、闘うときは率先して最前線に立った。それゆえに李広が自刎(自分の首を刎ねて死ぬ)したとき、その悲報を聞いたすべての兵士が心から泣き、李広に実際に会ったこともない人さえも集まって来たという。”桃李不言,下自成蹊”は直訳すると「桃と梅は話さないが、桃と梅の下には道ができる」。つまり、桃と李(すもも)は甘い香りと果実があるため、何も言わずとも人が集まって来て、その果実の樹の下には自然に蹊(道)ができるとなる。桃と梅を李広にたとえて、人徳や人格のある人のもとには、自身で誇示せずとも自然と慕われ人が集まってくるという意味となる。
例:“桃李不言下自成蹊”就是自己努力的目标
「“人徳者のもとには自然と人が集まってくる”は自分が努力し目指す目標である」
例:桃李不言,下自成蹊,不必言说自己的渊博
「人徳者のもとには自然と人が集まってくる、該博をひけらかす必要はない」
例:桃李不言,下自成蹊,桃花树下跑步,又想到恩师
「“桃李不言,下自成蹊”桃の花の下をジョギングしていたら、また恩師のことを思い出した」